2014年08月22日

視察から2年後の陸前高田に向かって

2014年7月、あゆみ観音さま制作前、2年前(2012年)
に視察で訪れた陸前高田へ、再び訪れることとなりました。
今回は時間があまりとれなかったので同じ行程で比較はできませんが、
一本松周辺の写真を並べていきたいと思います。

2年前の写真です。遠くからですが、黒い袋が見えます。橋の根本が土嚢(黒い袋)で補強?してある光景はそのままです。周囲の光景が激変している中、土嚢の上の雑草が増えただけで変わっていませんでした。
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今回の写真です。同じ立ち位置からの写真じゃなくて解りづらいですが、この黒い土嚢の印象が強く残っていたのでカメラに納めました。一本松までの道のりは、立ち入り禁止用の壁で仕切られているので、自分の立ち位置がわからず、迷路のような印象です。
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水門と一本松、2年前
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水門と一本松、今年。
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一本松 2年前
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一本松 今年
 やはり復元したとはいえ、生きていた時の活力を表すような松の姿には戻せなかったようです。
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この日は大型台風が迫ってきていて天気が悪かったせいもあるのですが
周囲に張り巡らされた巨大なベルトコンベアー(異様な光景です)と、立ち入り禁止だらけの小道
そして、やはり自然のものとは違う一本松が、雑然と生えた雑草のもの悲しさと相まって
もの悲しさを引き立てていました。
周囲の山を削り取って大量の土を運ぶベルトコンベアー。
この方法を選択した事が正解だったのかは後年になってみないと解らないですね。
元の陸前高田の風景を更に変えてしまっている事は寂しい気がします。



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posted by 舞子(勢山社) at 11:44| Comment(0) | 視察

2014年07月29日

外部記事:「陸前高田へ戻られたあゆみ観音さま」

jookoさんの「ふぉとエッセイ」記事追加のお知らせ

7月11日
あゆみ観音さまが陸前高田へ帰られる様子を見届けたいと多くの方が未来商店街へ向かわれました。
真言宗・曹洞宗・浄土宗から、また個人で足を運ばれた方々、そして第一回の鑿入式以降
何度となく鑿入式に参加し、藤沢市民会館では鑿入式のお手伝いもして下さった
神奈川勢山会の皆様それぞれが、あゆみ観音さまが被災地に降り立つことを見守る為に
遠路はるばる足を運ばれ、儀式に参加されました。
その儀式の様子と被災地の今の様子の記事を、あゆみ観音さまをずっと見守って
くださってきたjookoさんが書いて下さいました。
下記リンクからどうぞ。

>>「陸前高田に戻られたあゆみ観音さま」
posted by 舞子(勢山社) at 18:09| Comment(0) | 視察

2014年04月03日

あゆみ観音〜視察3


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陸前高田からの帰路では、道が通っている海沿いの主要道路を
なるべく通ってきました。
同じ津波に襲われた所でも、行政まかせにせず、住民達で
日頃から気をつけている集落では被害者が1人もいなかったりと
危機への意識の仕方により、被害を小さくできる事を
学ばせていただきました。

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posted by 舞子(勢山社) at 00:25| Comment(0) | 視察

あゆみ観音さま 〜視察2


住人の方やボランティアでいらしていた方々に色々とお話を伺いました。
視察に同行されたjookoさんのブログに、詳しい記事が書かれています。
   >>jookoふぉとエッセイ



教訓が石碑に残されていました。
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堤防の中の土がさらわれて空洞になってしまっています。
おそらく形がしっかり残っている所も強度がなくなっていると思われます。
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松原の跡。
防潮林としての役割も担ってきた何千本もの松ですが
巨大な津波により流され、街を襲うことになってしまいました。
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勢山先生の知人の方で、絵を描く事で子供達の心を癒してもらおうという
ボランティア活動をされている方が丁度いらしていたので、建物の跡を
案内していただきながら、詳しいお話を伺いました。
圧倒的な津波の痕跡を目前にしてみると、自分がもしこの地にいたとして
助かれるイメージが思い浮かびません。
建物の三階に車や流木が突き刺さっている状況なのです。

石碑に残っている教訓を生かしてきた昔ながらの漁師町と、新しく
造られてきた街との被害の差が悲しすぎました。
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3Fと思われる硝子の所は映写室で、そこに流されて閉じ込められてしまった人は
流されず、天井との間の空気で助かったそうです。
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てぶくろ人形劇のボランティアをされていらっしゃる方や
会場の幼稚園の先生方にもお話を伺いました。
子供達を誘導しながら山道を避難した時の様子などをお聞きし
先生方や子供達の勇気、地元の方の知識などのお話に聞き入り
ました。
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写真追加

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ボランティアの方たちも利用している素泊まりの宿に宿泊させていただきました。
深夜の宿、寝静まった頃に地震があり、川沿いを急いで走っていく自警の車と思しき
ものや普通車が緊張感を高めます。ボランティアで来ている若者たちも揃って外へ飛び出し、
私達もテレビからの情報に注目しました。
まだ日々地震の多い中です。震災に直に遭遇した方々の日々の恐怖感ははかり知れません。
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posted by 舞子(勢山社) at 00:25| Comment(0) | 視察

あゆみ観音さま完成まで 〜視察

2012年8月

陸前高田の松で佛さまを作りたい、制作をお願いできないかと
勢山先生の元にお話が来ました。まだ復興の兆しも見えて
いない中で仏様を制作しても、それどころではないのではないかと
いう思いもあり、勢山先生は地元の方の意見や思いを知りたいと
陸前高田をはじめとする東北の被災地の様子を視察に行かれました。
現地で避難場所にもなったお寺のご住職にお話を伺うと、
(街の際にある高台のお寺で、被災した旧市役所から近い所です)
家族や家を失い、思い返すのも辛く、何も考えられない中で
仏さまに祈るイコール家族の死を受け入れる、という所まで
いけてないのではないか、また、仏さまがいらしても、肝心の
住んでいた人達が仮設住宅に入られ、いつ戻ってこれるかも
わからない状態で、仏さま自身もお守りできるかわからない
のではないかというご意見を伺いました。
 また、床上まで水につかったというあたりの方に伺った
お話では、先に進む為に兎に角動き出そうという気迫が感じ
られました。
 漁師町の民宿では、旦那さんが実際海に出ている時に津波に
遭遇したお話や、その地域では海に近くだったけれど死者を
出さずにすんだこと、昔からの伝承を受け継いでいる地域
であること、運やタイミングもあったことなどをお聞きしました。
つくづく、口伝や石碑で忠告されている事は大事だと思いました。

 その後、勢山先生が制作依頼を受け、観音さまのお姿を
図面上に表す時にイメージの元となったのは、視察してきた
東北の様子や陸前高田の光景。
かつて松が立ち並んでいた跡を見ながら、多くの人に愛されて
育ってきた松たちが、津波により流されて町を心ならずも破壊
してしまう一端を担った悲しさを浄化してあげたい。
という思いや、人だけでなく、動物、植物、数多の命、歴史と
共に歩んできた街姿や歴史などが姿を変え、生まれかわった
という姿を、浜辺に遊ぶ松の精になぞらえ童天女のお姿で
表す事にしました。
 震災の直後に生まれ変わり、菩薩さまが完成した頃が
成長した姿と重なれば。という思いも込められています。

色彩も、希望と願いの祈りをこめた赤系の色を基調に、海の青
松の緑などを入れて彩色されています。

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posted by 舞子(勢山社) at 00:22| Comment(0) | 視察